琉球舞踊の舞初めに行ってきました!

昨日は琉球舞踊の舞初めの日でした~

奏者(地謡)さん達と共に合流して、地謡さんの演奏で私達が次々と踊るのは、普段CD の音源で踊っているのと違い迫力があり、とても心地よいものでした!

踊りが終わったら新年会に移りました。そこでも三線と18番の踊りがでて、どこまでも琉球舞踊がすきなのねーとおもいました。

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あけましておめでとうございます。

2019年元旦 函館から

明けましておめでとうございます㊗️

外では雪が降ってる中、家の中では、小さな可愛い双子の孫が😍一日中クルクルと動き回りおしゃべりする様は、私にとって、非日常的なことで、それを眺めているだけでとても面白い!

持ってきた、課題図書も進まず、ブログも書かず、ひたすら小さな天使たちのウォッチングをしていた!

その上の小・中学生のお兄ちゃんたちもウォッチングしていると面白い!

遠い昔、私もこんなに必死に子育てしていたなんて、忘れちゃってひたすら、観察していて楽しんでいた~

娘ともしみじみと語り合えて、

あ~こういう時の流れも来るんだなぁとゆったりとしたお正月でした!

函館は雪だった〜

函館は雪だった〜

今日は朝からウキウキしている。これから年末年始を函館で過ごすのだわー

自宅を出発してハイウェイバスに乗り込んだら、航空会社からメールが来た!なんと雪で欠航ですというではないか!

慌てて娘の夫にメール。どうしよう~どうしたらいいかしら~⁈

こういう時いつも娘の夫に助けを求める。

彼はいつの時もスーパーマンの如く助けてくれる!

案の定、新幹線の切符をとったから、と言ってきた!

急遽、羽田から東京駅に行先を変更して、東京駅で待ち合わせして、新幹線の切符を手渡してくれた!

北海道にいるはずの彼が、たまたま東京で仕事していたからなんだけど、彼の行動は私には神業としか見えない。

思えば彼は何度も我が家が緊急事態に会った時に助けてくれた。

民事再生の時も、夜中に1人で引越し荷物を何回も運んでいた、

息子が大通りで夜中にエンストした時も駆けつけてきた。

いろんなことが一気に蘇り、胸が熱くなった、、、

ということで、飛行機の旅が、新幹線の旅になった、

ワァー北海道新幹線に乗るの、初めて~!!

何と仙台を過ぎた頃から雪景色!

思わず日本は縦に長いなぁと実感した!

新幹線に乗って、またまたびっくり!

取ってくれた席はGran Classという車両で、

これまでの鉄道の中で初めてのサービスであると書かれていて、

ホテルのような居心地の良さ!食事や飲み物が無料で飲み放題なのである!

あ~幸先の良い旅の始まりの予感だわ~

満喫満喫ー💖

ゆずのジャムが出来た〜!

娘の所に遊びに行ったら、ゆずを沢山もらった!

普通は、細かく切って、冷凍するけど、沢山もらったので、ジャムにすることにした。

レシピはパソコンから探す。

ワァーこんなにあるんだー料理本なんていらないね、

早速作ってみた。

ゆずと砂糖と蜂蜜と水。分量を入れてコトコト15煮たら出来た!

粗熱が取れたら瓶に詰めて、冷蔵庫に。

とても簡単!

試しに、3匙をカップに入れてお湯を注いで、飲んでみた!

とっても美味しい!酸味と甘さと、なんといっても爽やかなゆずの香り〜

南青山サロンを新規オープンしました!

南青山サロンオープンのお知らせ

この度、南青山サロンを12月13日に開催することとなりましたので、ご案内申し上げます。

又、本日オフィシャルホームページが出来上がりましたのでご覧くださいませ。

URL https://shinri-counselor.com

サロンの場所は港区南青山4丁目 東京メトロ表参道駅より徒歩7分のところです。

南青山の地は、地理的にもアクセスが良くて、ブランド店の通りを抜けていくと、根津美術館があり、

静かな中にも華やかさと落ち着いた佇まいの空間が広がります。

気の流れの良い南青山の地でサロンをオープンすることが出来てこの上ない歓びです。

サロンのコンセプトは、

「意識的な選択をして、人生を創造的に生きる。」

カウンセリングは精神的な病の人がいくところではありません。

病気ではなく身体は元気であっても、心の行き詰まりを感じたり、今までやっていたことに違和感を感じて、

方向性を見失ったり、自分の進む先に不安を持ったりと、人生の転機が訪れることはよくあります。

自分は何を目指しているんだろう?

何の目的でこの世に生まれてきたのだろう?

自分らしく生きるとはどんなことだろう?

こういう時はステージが変わる時かもしれません。

もっと自分自身の次元をあげる必要があってのことかもしれません。

そういう時にはプロの助けを借りることも、一つの手段です。

炭屋由美子は、

沖縄の地で生まれ、故郷から遠く離れた東京の事業経営者に嫁ぎ、生活様式や、

家の価値観の違いに翻弄されながらも、3人の子供を育てながら、経営者の妻として嫁として、

酸いも甘いも経験してきました。昭和平成と事業経営をしてきたからこそ、

色々な人生模様を見ることが出来ました。

いろんな役割や仮面をつけながらもなお、自分を生きるとはと、自問自答しながら、心理学を学んできました。

今、頑張ってきた人達を、どうしても前に進みたいけど進めない人達を、その壁を乗り越えその経験を糧にして

新しく、さらに豊かな世界へ踏み出していくお手伝いをしたいとかんがえております。

是非一歩御運びくださいますよう、ご案内いたします。

沖縄の芸能祭に参加してきました!

沖縄で琉球古典芸能祭に参加しています!

踊りと三線の地方(じかた 舞踊の伴奏者)を合わせて、毎日300人ほどが参加していて、それが1週間続く。

自分たちの出番の日は朝からリハーサルをして、

そのまま準備に入り本番と一日がかりだ。

それでも自分の出番が終わると、急いで衣装と化粧を落として、

舞台を見にいくことを繰り返した。

毎日夜の10時まで開演している。

琉球新報社のビルの3階から6階まで行ったり来たりしながら、

小学生みたいに、はしゃぎながら琉球舞踊ざんまいでした!!

人間国宝の方とか有名な方もたくさんいらしていて、

琉球芸能の奥深さと豊かさを堪能する出来事でした!

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琉球古典芸能祭に参加してきます。

 

古典芸能祭に参加してきます。今日から沖縄です。

今年の夏に行われた、琉球新報社主催の古典芸能コンクールに合格した人々の祝賀会と表彰式の授与会に参加するためです。

私は上り口説(ぬぶいくどち)を踊ることになりました。

いろんな流派の新人賞から、最高賞まで合格した人の舞が一同に見られるので楽しみでなりません。

さあ、ワクワクで出発です。

今日のOSHOカードはダイヤモンドで引きました。

これがこの旅の学びと気づき。心して出かけよう!

OSHO zEN TAROR 今日の一枚最近はカードをダイヤモンドの形で、引いている。1.今日の学び2.潜在意識からのメッセージ3.顕在意識からのメッセージ4.解決するために必要なこと5.解決、理解あまりにも、ドンピシャすぎて、声にならない!

亡き母への想い

 

亡き母への想い

心理学を学び始めると最初は、自分と深いかかわりのある原家族との探求から入る。

私の父は、すごく怖い存在だったので、父親との探求をたくさんやった。

繰り返し繰り返し父親とのことを探求した。

そのかかわりの中にいる幼い私を見つけて、受容する事ができたとき、

初めて父の孤独感と、寂しさも感じる事ができた。

怖いとばかり思っていた父が心の底では本当は大好きだったんだということにも気づく事ができた。

そんなとき、ふと母はどうしていただろう?

と思ったけど、母のことは全然記憶になかった。

その後、結婚して後の姑との関わりや自分の中のいろいろな囚われなども探求してかなり、クリアになったと思っていた。

ある日、ひょんなことから、息子から唐突に、批判を受けることになった。

私にしてみれば晴天の霹靂としか言いようのない出来事にただ唖然とするばかり・・そんな、その時はそんな思いではなかったのに・・

私の師匠の見立てによれば、息子からのジャッジは、私の中にある抑圧していることに対する投影であり、それを観て行かない限り止まらない。ということだった!

そういえば、それを思わせる出来事が、最近あった事を思い出した。

他の人のセッションをモデレーターとしてみていたときのこと。

クライアントの人が、話の深い方に進むたびに抵抗して、わからない?感じません、、といっているのをみて、肝心なところから避けようとしているように見受けられた。

感情を抑圧している。

そのとき私は、ハッとしてしまった。

これって私と同じパターンか?

ということは、私は、実母との関係性の中に、観るべきところがまだまだある。ということか?

ということで母を探求することになった。

それからしばらくの間、瞑想をしたりして、自分の内側を探求することになった。

母との記憶・・私が幼いときの母は??ずーっと記憶の中の母を探していた。

すごーく遠い昔のこと、

私は2~3歳、母の右隣をトボトボと歩いていた。

母は、誰か幼子をおぶってねんねこ半天を着ていた。

辺りは薄暗く、途方に暮れていた私は、もう歩けない~と言おうとして母の顔を見た。

そしたら、なんと母が泣いていた。

泣きながら歩いていた。

私はその涙を見て凍りついた。

その時から私は、母への想いを封印してしまったらしい。

これは誰かの手を借りなければ。ということで個人セッションを受けることにした。

母のことをたくさんたくさん話した。

私は長女で、1歳半下に妹がいて、そのあとに、弟と妹がいた。

私はよちよち歩きの1歳過ぎた頃には、もうお姉ちゃんという役割だった。

母は、終戦まもないあの頃、4人の子供と、無口で働き者だが、酒乱癖のある夫とともに、生きるのに精一杯だったんだろうなと思いを馳せた。

そしたらまた、思い出した。

私が中学生の頃、洋服タンスの奥から、紙切れを見つけた。

見覚えのある母の字で、綴られていたのは、この世に酒というものがなければ・・・という夫の酒乱への恨みつらみが綴られていた。

母の辛さを垣間見てしまった私は、またも母に何もいえず、一人この思いを封印してしまった。

そんな状態の中で私は、母への愚痴めいたことは一切記憶にない。

それでも私は個人セッションを進めるうちに、母の忍耐強さ、生きる智恵袋の豊かさ、したたかさ、そして賢く商売人の力強さを

たくさん思い出すことができた。

母は、酒乱だけど働き者の夫と、涙もたくさん流したけれど、したたかにたくましく生きてきたんだということがわかった。

ああ~私は、母と同じ道を歩んでいるわー

私は小さい時は父親に怯えながら、結婚してからは姑に泣かされながら、3人の子供を育て、

夫の会社経営に関わって、

たくましく生き延びてきた私の人生は、

母の背を見ていたから乗り越えられてきたんだ!

まさにあの母を見ていたから、踏まれても立ち上がるしたたかさを持って乗り越えられたし、

たくさんの涙も体験したから、情の深さも感じることができたんだと思える。

私は結婚してから、自営業の家に翻弄されて、急に体が弱くなって、何回も救急車で運ばれたし、入院もたくさんした。

二番目の息子を産んだ年には年に3回も入院していた。

その度に母は沖縄から駆けつけて、1~2ヶ月世話をしてくれた。

大きな手術をした時には、布団を持ち上げることもできなかったので、

2ヶ月ほど世話をしてくれた後、

お父さんが待っているから帰らなくちゃと言いながらも、私のことを不憫に思ったのか、

1歳半の息子を沖縄に連れて行って半年間預かってくれた。

そんなに世話になった母なのに、

母が年老いて、体が動かなくなった時に、

私は、家庭があって離れられず沖縄の母の身の回りの世話ができないことを悔やんで泣いたら、「あなたはそれを自分の子供にその思いを返しなさい。順送りだからね」と言ってくれた。

だから私は、自分の孫が生まれた時に、母への恩返しのつもりで、娘たちの産後のお手伝いをさせてもらっている。

母のことを、可哀想な人生だったと思っていたのは、幼い私の、勝手な思い込みで、母は母なりに、幸せな人生だったんだろうなと思った。

さて個人セッションの続きだが、カードを2枚引いた。

最初のカード、TURNING IN (内側に向かう)

うんそうそう、と納得する。心(マインド)の戯れをただ見守っている。自分軸を持って内側に向かう。なるほどね、と思っていました。

2枚目のカード、RECEPTIVITY (受容性)   

頭(心)がなく両腕は受け取るために上へと伸びています。限界もなく期待も要求もなくすべてのものに感謝する。

慈悲こそが今まさに輝き出ている。

感じるためにカードと同じように両手を上にあげてみた。

2枚目を見てから1枚目をもう一度見てみると、1枚目のカードの顔がマスクに見えてきた。

まさに愛のマスク。いい人のマスクに見えてきて、ゾーッとしてきた。

おお!私はまたこれで、このマスクで、進んで行こうとしているのか?

エニアグラム2の私の課題のいい人仮面。

今回は気付いただけでも収穫だと思いたい。

探求はまだ続く。

沖縄に来ています。

私の師匠の師範の免許皆伝がありました。

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