その2、琉球舞踊古典芸能コンクールを受けて来ました。

本番コンクール会場は戦場のようでした。

主催の琉球新報社の新ホールの完成は翌年の予定だったので、去年2017年は、会場が那覇青年会館でした。

新人賞の本番1日目は、地元沖縄のAちゃんでした。舞台の支度部屋では各出場者の番号のついた場所で出場者本人を囲んで5~60人がひしめいていた。流石に沖縄特有の高笑いなど無くて、緊張感が漂っていた。私たちは家元に挨拶をしながら、邪魔にならないように遠目に座った。

弁当の買い出しに行ったり、舞台の進行具合を見に行ったりした。Aちゃんは、座の中央に座り、顔を白塗りにされていた。化粧が終わり髪結いが終わり着付けが終わると、いよいよAちゃんの出番だ。舞台に上がるAちゃんが廊下を緊張した顔ですり抜ける。その後を先生と弟子が化粧直しの道具箱を持って追いかける。私たちはそれを目で追いながら、頑張って・・と祈る気持ちで見送った。もう~この気持ちは実感しないとわからないだろうなあ。

ビデオをたくさんの人が食い入る様にみる。見ているこちらも手に汗を握る思い。

Aちゃんが終わって舞台袖から出て来た。みんなに囲まれたら、突然に号泣した~見ているこっちも涙が溢れる。終わってホッとしたよね~

緊張するよね~。ヤバイ自分の場合はどうなるんだろう?

その夜、青年会館の宿泊場所にみんな集合した。それぞれに、衣装にアイロンかけたり、荷物を整理したり、明日本番のM子ちゃんは大先生と特訓が始まっている。私の出番もその次の日なので、一緒に稽古に入った。大先生は、昨日の総合練習で家元に寝かすな!といわれたそうだ!

「今日は何時まで練習する?あなたが決めて!」先生に言われてM子ちゃんは、しばらく考えてから「11時まで練習お願いします。」それで今晩のスケジュールが決まった。5時から11時、普段と同じくらいの稽古時間だが中身が違う、本気度が半端ない。けれど誰も弱音は吐かない。

15カ月の集大成だからだ。もうあとがない。M子ちゃんの出番は明日だ。私の出番はその次。泣いても笑ってもここまで。やるしかない!みんな何も言わず黙々と練習する。「もう1っ回初めから!!」「はいっ」永遠とこれが続いた。

今日はM子ちゃんの出番だ。朝8時から支度部屋の席取り合戦が始まる。M子ちゃんは32番、今日の8番目、支度が進むとだんだん落ち着かない。私がそわそわしてどうするの~M子ちゃんが舞台に上がる時、そっとタッチした・・頑張って・・祈る気持ち。帰って来たM子ちゃんを見たら涙が滲んでいた。思わず私もジーンとなった。

お昼休みになった。舞台で立ち稽古ができる。明日出番の私は急いで舞台に上がり、歩数を数えながら中央に立つ位置の確認をする。舞台上ではたくさんの人がぶつかりそうになりながら、あちこちで踊っている。とそこへ大きな声が飛んで来た。「そこのピンクの人、歩きができてない、もう一度歩いて来なさいー」「えっ!私?」「そうそこのピンクの人、もう一度歩いて見なさい。私が見てあげるからー」

会場中に響き渡る大きな声の持ち主は、高齢の女性の方で、周りの態度から偉い先生みたいだった。私は言われるままにトライしたが、舞台上の人の多さでその先生のOKをもらえないまま舞台を降りた。

するとトイレの前でその方と鉢合わせすることになってしまった。その方は私のピンクの稽古着を見て、「あんたね~諦めずに何回もやりなさい。みんな誰も落とそうと思って言っているんじゃないよー受かって欲しいから言うんだよー」私の手を握って言ってくれた。私は走ってもう一度舞台に上がった。走りながら、ここで恥ずかしがってどうするの、これまでなんのために頑張った来たの!恥じも外聞もなくやってやるーって思いながら舞台に上がって、踊りの踏みをやり続けた。

今日は私の出番。15ヶ月かけてこの日に向って練習して来た。何も考えず、曲に集中してやるだけだ。支度を終え、舞台袖でスタンバイしていたら、先生が濡れたタオルを床にそっと置き、「足袋の裏で軽く踏んで」と言った。舞台で滑り過ぎるのを防ぐためだ。踏みながら、よーしやるぞ!と腹から思った。静かな闘志が湧いて来た。そのあと覚えてない。

午後から男踊りが始まる。準備が早めに終わったので、家元の許可をもらって、舞台衣装のまま4階に行って、大先生に最後の稽古をつけてもらった。先生は快く応じてくれた。舞台が終わると、「炭屋さん、今までの中で一番良かったよー」って言われた。良かったー!

舞台が終わった次の日、私は東京に戻った。私の娘が生まれたばかりの赤ちゃんと二人で待っていたからだ。

東京に戻って2日後の夕方、コンクールの合否のメールが届いた。

「残念でした。」の内容だった。

夕食の最中にもらったメールを見て、私はそのまま自分の部屋にこもった。返事をするのに3時間かかった。

ええっ~!後は言葉がない。舞台から降りたら先生から、今日が一番上手だったと言われた。本当ですか?良かった!

思い残すことはないと思った。なのでまさかの結果でした。信じられない。涙が出ると思ったけど、以外に落ち着いていた。

って言うかどうしても信じられない気持ちの方が強かった。あんなに頑張ったのに、間違えたところはなかったのに。扇もまっすぐだと言われたのに。自分の部屋に入ってずっと考えた。数時間こもった。

さすが組踊が世界遺産に登録されるだけあって、琉球舞踊は格式が高いんだと現地に行って実感した。見た目だけの踊り、にわかつくりの安定感では通用しないんだと、やっと腑に落ちた。これが今の私の実力なんだ。あれ以上は踊れない。あの日は今までの中で一番上手に踊れた。それは確かだ。

でもそれは合格の基準に達していなかったということ。それが今の私の実力。その今の実力を確かに目一杯表現できた。今日が一番上手だと言われたとき、思い残すことはないと確かに思った。それでいいじゃないか。やっと腑におちました。そう思うと、ここまで頑張って来た自分を褒めてやりたくなりました。15ヶ月も良く頑張ったよね~、初めて涙が出た。

受験者の中で自分の子供よりも若い人の中で、一番の高齢で持病持ちで、頑張り屋だけど不器用で、いつもみんなに追いつけず、特訓に耐えられる体力もなく、頑張りすぎると身体が壊れて、足がつって足袋が履けず、ハードな練習についていけず、私だけ休んで、でもこっそり30分ずつ練習に通って。みんなうまくなった行くのに、私だけよろよろで、ピョコピョコでバランス取れなくて、でも最後まで諦めず、粘り強く食い下がって行ったら、やっと男踊りができたというところがコンクールの前日だった。にわかつくりじゃダメだよね。納得。

私よく頑張って来たよね~自分自身を褒めたいと思います。

ここまでこれたのはいい仲間と良き先生に出会えたからだと思います。感謝~

と去年は閉めたのでした。

その時は、また挑戦するなんて思いもよらなかったのです。

つづく

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炭屋 由美子

炭屋 由美子

岡部明美LPL養成講座認定セラピスト 大塚彩子ビリーフリセット認定カウンセラー  琉球舞踊愛好家 事業経営者に嫁いでから、会社経営と子育てに奮闘しながらも、心のザワザワを感じながら、生きてきました。38年間の結婚生活にピリオドを打った時、初めて、役割ばかりを背負い、本当の自分を生きてなかったことに、気づきます。心理カウンセラーとの出会いで、真に生きること、自分を信じることの歓びを感じることが出来ました。この歓びを一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。